古川巧 art diary

よい作品とは、何度見ても飽きないもの!

海北友松(かいほうゆうしょう)について その1 2017

何故か、大学の卒論を選ぶとき、みんながあまり書かない友松を選んだ私。
桃山の巨匠と言えば狩野派、それに長谷川派!みんながそっちを選ぶのなら、書かれていない人を調べてみよう!そんな好奇心から友松を選びました。

普段、書籍ぐらいでしか見たことないのに、袋人物と言う軽やかな線描に惹かれたワタクシ!
今思えば、身内にあのような線描の画家がいたからなのです。

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海北 友松(かいほう ゆうしょう、天文2年(1533年) - 慶長20年6月2日(1615年6月27日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。海北派の始祖。姓は源氏、友松は字。近江(現在の滋賀県)の湖北地区に生まれる。名ははじめ「友徳」。「紹益」とも。「如切斎」「有景斎」などと号した。子に同じく絵師の海北友雪。

浅井氏家臣・海北綱親の五男として生まれる(三男説もあり)。天文4年に父が戦死したのを切っ掛けに禅門に入り、京の東福寺で修行。このときに狩野派を学んだらしい。師匠は狩野元信とも狩野永徳ともいわれているがはっきりしない。天正元年(1573年)に浅井氏が滅亡し兄達も討ち死にしたのち、還俗し海北家の再興をめざしたが、豊臣秀吉に画才を認められたことから武門を去り、晩年は画業に専念した。



友松の50代以前の画業については、あまり明らかになっていませんでしたが、近年になって、狩野派風の筆法と友松風が混在する無款の屏風絵がいくつか残っています。