古川巧 art diary

よい作品とは、何度見ても飽きないもの!

桃山のサルの絵3点!比較してみたww

この猿図、3点とも、作者が違うと言われています!


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「観音・猿鶴図」大徳寺
南宋時代(1127年 - 1279年)。

牧谿もっけい、生没年不明)は、13世紀後半、宋末元初の僧。四川の出身。牧谿作品は14世紀初めの鎌倉時代末には日本に伝わった。南宋末元初と元末明初の王朝交代による混乱による作品流出や、日中の禅宗寺院の交流が頻繁で牧谿の同門には無学祖元や兀庵普寧など来日した中国僧や円爾の他多くの日本人留学僧がいたことが背景があります。
牧谿のモチーフの中でも猿は非常に人気があり、雪村や式部輝忠といった関東水墨画の絵師たちも多くの作品を残しています。
牧谿の作品は、室町時代の禅僧の日中交流で日本に流れてきたものでしょう。


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「枯木猿猴図」(こぼくえんこうず)
桃山時代(16世紀)京都 龍泉庵


長谷川 等伯(はせがわ とうはく、天文8年(1539年) - 慶長15年2月24日(1610年3月19日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。幼名は又四郎、のち帯刀。初期は信春と号した。狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する画人です。
最も熱心に牧谿を学んだ絵師は長谷川等伯です。「等伯画説」でも多くの項目を牧谿に充て、明らかに牧谿の影響を受けた作品が数多く残しています。
打倒、狩野派を生涯貫いた、パワーある画家です。



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「柏に猿図」桃山時代(16世紀)サンフランシスコ・アジア美術館

海北 友松(かいほう ゆうしょう、天文2年(1533年) - 慶長20年6月2日(1615年6月27日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。海北派の始祖。姓は源氏、友松は字。近江(現在の滋賀県)の湖北地区に生まれました。名ははじめ「友徳」。「紹益」とも。
この猿図、何十年も前、サンフランシスコで見たことあります。京都で再会するとは、不思議な縁!



***うーん!難しい!どれもみな似ていますww しかし、おサルさんの描き方はほとんど同じでも、3品とも背景の描き方が違いますね?


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