古川巧 art diary

よい作品とは、何度見ても飽きないもの!

上野のロダンww

ここは上野公園。
公園口の駅前に、西洋美術館があります。


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のどかに、お弁当を食べている中学生らしき 集団が・・・
日陰でちょうどいいやな!

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この西洋美術館の庭には、ロダンの作品が置かれています。
どなたでも自由に観覧できます。この部分は無料!
写真も撮れます。

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カレーの市民と名づけられた作品です。
カレーの市民 (Les Bourgeois de Calais)は、オーギュスト・ロダン作の著名な彫刻のひとつで、1888年に完成しました。 「カレーの市民」は、百年戦争時の1347年、イギリス海峡におけるフランス側の重要な港カレーが、一年以上にわたってイギリス軍に包囲されていた際(カレー包囲戦)の出来事に基づいて作られています。

うんちく・・・イングランド王のエドワード3世は、クレシーの戦いで勝利を収めた後カレーを包囲、フランスのフィリップ6世は、なんとしても持ちこたえるように町に指令しました。 しかしフィリップ王は包囲を解くことができず、飢餓のため町は降伏交渉を余儀なくされたのです。 エドワード王は、町の主要メンバー6人が自分の元へ出頭すれば町の人々は救うと持ちかけましたが、それは6人の処刑を意味していました。 エドワード王は6人が、裸に近い格好で首に縄を巻き、城門の鍵を持って歩いてくるよう要求したのです。

町の裕福な指導者のうちの一人、ユスタシェ・ド・サン・ピエール(Eustache de Saint Pierre)が最初に志願し、すぐに5人の市民、ジャン・デール(Jean d'Aire)、ジャック・ド・ヴィッサン(Jacques de Wissant)、ピエール・ド・ヴィッサン(Pierre de Wissant)、ジャン・ド・フィエンヌ(Jean de Fiennes)、アンドリュー・ダンドル(Andrieu d'Andres)が後に続きました。 彼らはズボンまで脱いだのです。 サン・ピエールを先頭に、やせ衰えた6人は町の城門へと歩きました。 まさにこの、敗北、英雄的自己犠牲、死に直面した恐怖の交錯する瞬間をロダンは捉え、強調し、迫力ある群像を作り出したのであります。


ロンドンのヴィクトリア・タワー・ガーデンのカレーの市民。フランスの法の元、ロダンの死後この作品は12点しか鋳造されませんでした。ロンドンのものは、1911年に英政府がそのうちの1点を購入したものです。


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この作品は1880年、カレー市長により町の広場への設置が提案されました。通常なら戦勝記念のモニュメントだけが建設されますが、フランスは普仏戦争の敗北で破壊的被害を受けており、若者の犠牲を表彰することが切望されていました。しかしロダンの作品は論争を生じた。市民を英雄的表現ではなく、むしろ陰気で疲れきった姿として描き出しました。

ロダンの意図では、このモニュメントは鑑賞者と同じ地面の高さに展示することとされていました。これは、彫刻作品を伝統的な高い台座の上ではなく地面に直接置いたという点で革新的でありましたが、ロダン死後の1924年までカレー市議会はロダンの意図に反して、像を高い台座上に設置し続けました。

世界各地にある『カレーの市民』は、場所によって、人物像を1つずつ展示してある場合と、台座の上でひとまとまりの群像になっている場合とがあるそうです。 台座の上に載っている場合もあれば、地面の高さに展示してある場合もあり、少なくとも1つはわずかに沈み込んで、台座の上面が地面と同じ高さになっているそうです。

オリジナルの鋳型から作られる像のエディション数は12となっており、すべてのエディションが1995年までに鋳造され各地の施設や美術館に納められました。エディションの1番目は現在もカレー市庁舎前にあります。








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