古川巧 art diary

よい作品とは、何度見ても飽きないもの!

彫刻家 小畠廣志氏の思いで!①

僕の美術家人生、忘れてはいけないのが小畠廣志氏だ。もうすでに故人。60代で亡くなってしまったww
彼は当時新進気鋭の彫刻家であった。大学では彼の率いる助手、講師、名誉教授みたいなのが、我々をサポートしてくれた。
小畠氏は、この年、神田・田村画廊で個展やっていた!見に行ったな!榎倉康二が発表し始めたころだ。モノ派の高山登は講師でいた。関西の方で地面に穴を掘り円柱の作品を出していた人が出てきたのもこの頃。関根伸夫「位相―大地」。
小畠氏からは、大学1年の時デッサンをみっちり鍛えられたwwその割には、僕はセンスなくいつもびりっけつの方にいたww そもそも、アートを甘く見ていたのだ!
2年次は、田舎の学校に学園紛争が舞い込み、我々もそのどさくさに巻き込まれた。
授業もままならず、休講が多かった。実技も講義もいろいろあった。2年次までは、一般教養という、あまり興味ない授業が多かったな。しかし、興味ない科目はレポート提出で済んだような・・・?(定かではない)
3年次、大分専門的な授業が増えた。実技は彫刻、デザイン、絵画、版画、しかし何故か絵画は授業にあまり出なかった。それに引き替え、僕は西洋美術史、日本美術史の講義は興味を抱いた。
とくに、日本美術史は河野元昭、蓮実重康、辻のぶお等の体制で面白かった。しかし、河野先生の授業はよく休講になったなあ!河野氏もこの年辞職。
この年、恩師と思っていた小畠氏が大学を辞めてしまった!
4年時、この先生に就くというのがなくなってしまったわたくし、でも日本美術史を継続して学んだ。担当は吉川逸治氏。しかし、基礎がしっかり出来ていないので、結局中途半端で終わってしまった!

まあ、勉強というのは上から教わるものではなく、ヒントを授けられるもの!自分で開拓しなければいけないというのを、つくづく思い知らされた4年間であった!

小畠氏の思いでではなく、大学での思い出になってしまったww



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