たまには、美術史も復習いたしましょう!桃山から江戸にかけては数えきれないほどの画家が輩出されています。まあ、現代も僕を含め無名の方も多々おりますが・・・!
永徳は、その後300年続く江戸時代まで
世襲を貫いた一派のエースです。
狩野 永徳(かのう えいとく、天文12年1月13日(1543年2月16日) -
天正18年9月14日(1590年10月12日)
永徳は狩野松栄の息子で、狩野元信の孫にあたる。永徳は
法号で名は源四郎、諱は州信(くにのぶ)というそうです。
狩野派の棟梁として
織田信長、
豊臣秀吉という天下人に仕え
安土城、
聚楽第、
大坂城などの障壁画を制作しました。永徳が力を振るったこれらの代表的な事績は建物とともに滅びてしまったものが多く、真筆とされる現存作品は比較的少ないのです。永徳といえば『唐獅子図』や『檜図』のような
雄大なスケールの豪快な作品(大画)がよく知られますが、細部を緻密に描写した「細画」もよくしたとされます(『本朝画史』)。現存する代表作の1つである上杉本『洛中洛外図』は、彼が細密描写に秀でていたことを示しています。